「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉を聞いたことがあると思う。
私がこの言葉を最初に聞いたときは、「そういう考え方もありか…」と思うと同時に、「鶏口になっても、そのうち(ぬるま湯にどっぷり浸かって)鶏後の方に流されるんじゃないの?」、「なので、(腐っても鯛で)牛後の方がいいんじゃないの」と思ったことを覚えている。
今回は、「鶏口となるも牛後となるなかれ」について書いてみたい。
目次
鶏口となるも牛後となるなかれとは…
まずは、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の意味だ。
文字通りとれば、牛の尻になるよりも、鶏の口になった方がいい…という意味だ。
転じて、学校で言えば、難関校のビリよりも、中堅校のトップの方がいい。会社で言えば、大企業の末端で働くよりも、中小企業のトップで働く方がいい…という意味になる。
同様の言葉で、「鯛の尾より鰯の頭」、「大鳥の尾より小鳥の頭」というものがある。また、海外にも「ライオンの尻尾になるより、犬の頭になるほうがいい」という言葉がある。なので、こういう考え方は場所に関わらずあるし、ある程度支持される考え方である…としてもいいのだろう。
牛後になったときのデメリット
牛後になったときのデメリットから考えてみよう。
牛後になると、「押し下げ効果」に直面する。押し下げ効果は、1)内部の下げ圧力、2)外部からの下げ圧力、によるものだ。内部的にも外部的にも、下げの方向に力がかかるのだ。
内部の下げ圧力だが…たとえば、自分の実力より上の集団に属したとき、自分の能力に対する自信を失ったり、自己肯定感を下げたり…ということがある。
内部の下げ圧力に負けそうに…
以前の記事で、ハーバードの大学院のクラスで、ひと言も発言できない女子学生の話をしたことがある。
彼女は、あらゆる能力が自分より極めて高く見えるクラスメートに囲まれて、萎縮し劣等感を抱いたのだろう。ついには、「わたしはここにいるべき人間ではない…」という気持ちに囚われてしまった。これは、内部の下げ圧力に屈し、自壊のプロセスに入った…という状態だ。
外部からの下げ圧力とは
一方、外部からの下げ圧力とは、「まわりの見る目」ということだ。
たとえば、学校であれば教師の評価や見る目、会社であれば上司や人事の評価や見る目…ということになる。
その集団の中でビリになってしまうと、当然まわりからの風当たりが強くなる(または、厄介者視され上位者から期待されず、無視されるようになる)。本来であれば、苦しんでいる人をサポートするのがまわりの役割であるのだが、現実は必ずしもそうではないのだ。
鶏口になるといいことがある
逆に、鶏口になるといいことがありそうだ。
牛後の場合は、「押し下げ効果」というものがあったが、鶏口の場合はそれとは真逆の「押し上げ効果」がある。
たとえば、学校や会社で成績上位者になると、(成績がいい⇒自分はイケている⇒自尊心が高くなる)ということがある。まわりの見る目もいいので、気分よく物事に取り組むことができる、自信を持って行動することができる…といういいサイクルに入ることができる。
また、経験を多く積めたり、(それに比例して)成功体験も多く積める…ということがある。鶏口になるとそれだけその集団で影響力が大きくなるので、チャンスも増えることになるのだ。
これらの結果、鶏口になると自分にとってプラスになるのだ。
高校までは鶏口となるも牛後となるなかれがいい
私的には、高校までは「鶏口となるも牛後となるなかれ」でいいと思う。
難関校の底辺集団よりも、中堅校のトップ集団の方がいい大学に進学する…というケースがある。
おそらくこれは、普通のことだろう。先に述べた「押し下げ効果・押し上げ効果」に加えて、一度落ちてしまうと、1、2年という短期間で立て直すことはとてもむずかしいためだ。
件のハーバードの女子学生は、(同様の経験をしたことのある)教授のサポートがあり立て直すことができたが、こういうケースの方が少ないだろう(だから、印象的なエピソードになっているのだ)。
大学生より未熟な中高生が、「立て直す」のは大変なことなのだ。多くの場合、「これではまずい」と思いながらも有効な手を打てず、そのまま受験を迎えてしまうことになるのだ。
大学以降は牛後もあり
だが、大学以降は牛後もありだろう。
ひとつは、順位付けがあいまいになる…ということがある。
少なくとも、同期入社100人中100番だ…と言われることはない(笑)。なので、中高生よりは下げ圧力が小さくなる。自分の悪い成績がまわりにバレるの怖れたり、自尊心が大きく傷つく…ということもないだろう。
また、「牛後⇒鶏口」というパスは普通にあるが、「鶏口⇒牛後」はむずかしいのだ。
たとえば、中小企業から大企業に中途入社する…というのはむずかしい。大企業に協力会社として入って仕事をし、そこで実力を認められる…ということでもないと、むずかしいだろう。
牛後の経験が活きる可能性がある
後に鶏口を目指し独立するにしても、牛後は経験した方がいいと思う。
※そのときに、牛後の経験が活きる可能性があるためだ。
さらに、立て直す時間がある…ということもある。先に、「一度落ちてしまうと、1、2年という短期間で立て直すことはとてもむずかしい」と書いたが、大学以降ではもっと時間がある。その時間を利用して、考え方に望ましい「パラダイムシフト」をおこすことも可能だ。そうすれば、当初は牛後であっても、そこから前の方に進んでいくことができるだろう。
まとめ
今回は、「鶏口となるも牛後となるなかれ」について書いてみた。
私的な結論は、高校までは「鶏口となるも牛後となるなかれ」を採用し、大学以降はどちらでもいい…というものだ。なので、高校までは「鶏口となるも牛後となるなかれ」は正しいが、それ以降は、必ずしも正しくはない…ということになる。
鶏口になるか牛後になるかというのは、その人の考え方や生き方次第であり、(大学以降は)どちらが正しい…というものではないのだ。
※鶏口になっても、主体性や向上心のない人、地道な努力の積み重ねができない人は、鶏後の方にシフトしていく。「所詮鶏だよね…」と思う人も同様だ。冒頭で「鶏口になっても、鶏後の方に流されるんじゃないの?」と書いたが、これらの人が後ろに流される人にあたる。
今回の記事:「鶏口となるも牛後となるなかれ」は正しいのか